Fly me to the Moon

ってタイトル付けて記事書いてしまった(ついに)

ピガール狂騒曲「愛のデュエットを踊るのに、そんな条件でやれってほうがどだい無理なのよ」

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『ピガール狂騒曲』のあらすじ

ジャック・ヴァレットと名乗る青年(珠城りょう)は、街のならず者たちから逃れるために男装したジャンヌという名の女であった。素性を隠し、職を求めてムーラン・ルージュの扉を叩く。支配人であるシャルル(月城かなと)はガブリエルの出演交渉を命じ、その役目が果たせたならジャックを秘書として雇うことを約束する。ジャックに一目惚れしたガブリエル(美園さくら)は、出演条件としてジャックをダンスの相手役として指名する。身を隠しているジャックは裏方志望であり一度はガブリエルの申し出を断るも、シャルルの懇願により、「この手以外には触れさせないこと」「体には触らないでほしい」を条件に出演を承諾する。

こうして、ダンス経験皆無のジャックとガブリエルは、次回作の目玉であるデュエットダンスに、困難な条件のもと挑戦を続けるが……。

 

と、まぁそういう事情でダンスの稽古をつけはじめますが当然上手くはいきません。シャルルの通称「お願いソング」の場面でも、シャルルや振付師であるミシェルがその不可能性について言及しています。

シャルル「ジャック、お前も聞いてただろ。情熱的なデュエットを踊るんだぞ。体に触れずになんてそんな――」

ミシェル「無理よ。ねえ」

ジャックとガブリエルの練習風景では、ジャックの条件以外のさまざまな「無理」も、しっかりと可視化されます。*1

上手くいかない理由その一、まずは二人にダンスの素養がないこと。ズブの素人が踊れるようになるだけでも大変なのに、素人同士で組んで踊れるようになることがゴールなんて果てしなく遠すぎる!

理由そのニ、やる気がない(主にジャックの)。この練習の時点では、ジャックは上達することに関してあまり興味を持てないでいるようです。同時に、自分が女であるという秘密がバレるのではないかということに気をとられて、それどころでは無いとも言えます。

そして理由その三、実は女同士であること。振付師であるミシェルはもちろん、ガブリエルも当然、男と女でデュエットダンスをするものだと思っています。しかしご存知の通りジャックは女性なので、体格も筋力もさほど変わらないためか、ガブリエルが尻もちをついてしまうと一緒に倒れこみそうになってしまうし、リフトをしても支えきれずに自分もバランスを崩してしまいます。ここのジャンヌちゃんが、とってもヨタヨタして簡単にフラついてしまっていて「仕方ないよねぇ〜女の子だもんね!」と思ってしまうのですが、そこでふと思い出しました。

 

珠城りょうさんも女性じゃない!?

高くて安定感のあるリフトに定評のある珠城りょうさんですが、この人も、そういえば(?)女性……。普段「女の人なのに」なんて全く頭に過らない男役姿を披露しながら、本作のジャックでは、普通の女の子が男の振る舞いをすることの困難をコミカルに演じているのです。宝塚、ちょう面白い!

ジャックとガブリエルの上手くいかないデュエットダンスの練習を微笑ましく思って見る一方、現実の珠城さんとさくらちゃんのデュエットダンスが当たり前に美しいことに思いを馳せてしまいました。

お二人とも、ダンス(バレエ)を習い始めた頃はもちろん初心者で、その上達の過程には夢と情熱があったのだろうし、女同士で組んで踊るというのは、テクニックはもちろん、二人で重ねる鍛錬やお互いを信頼することでしか成立し得ないのだろうなと想像します。

ジャックとガブリエルの立ち向かう困難を、さも何も珍しいことはありませんよという風に見せている「宝塚のデュエットダンス」、すごいなぁ……。と思うと同時に、宝塚という文化そのものへの愛のある眼差しが作品の外側から感じられました。

余談ですがどうしても言及したいのが、この二人の練習の場面での台詞。

ガブリエル「私思うの。純粋で、ひたむきで、情熱さえあれば、たとえ不格好でも大きな感動を生むことが出来るって。そう、大切なのは心なのよ!」

本作は、106期生の初舞台公演でもありました。このガブリエルの台詞は、その初舞台生たちへも贈られているように思えて、涙ぐんでしまうときもありました。

この作品自体が、エンターテインメントに救われエンターテインメントに生きる人々とその場所とを軽やかな筆致で肯定的に描いているので、2020年に迎えた困難の中で、より明るい希望となって道標のように見えた気がしています。

 

さて、新作ショー『ラ・ヴィ・パリジェンヌ』の初日、ジャックとガブリエルのデュエットダンスはおおよそ成功したと言えるものの、様々なトラブルが重なり、公演自体は大失敗に終わります。

翌日ガブリエルは自分の行動を詫びるためにムーラン・ルージュを訪れます。皆に謝るガブリエルに、ミシェルが言います。

ミシェル「”体に触れてはいけない”――愛のデュエットを踊るのに、そんな条件でやれってほうがどだい無理なのよ。あなたがジャックにキスしようとしたのは、当然の感情の高ぶりです。むしろ私は、最初からああさせたかったの(後略)」

 

 

S25『メ・マン(私の手)』の調べに乗せて、紳士Sと淑女Sによるロマンティックなデュエット・ダンス

フィナーレでのデュエットダンス、リフトもなく二人が触れ合って踊る場面も少なく、「ソーシャル・ディスタンス対応?」という感想も多く見たのですが、わたしは感染症防止観点からではなく、最初からそのように意図された振付だと思っています。

使われている『メ・マン』、公演で使用された歌詞はこちらで紹介されているものと同じですね。別の訳詞を紹介してくださっている方もいらっしゃいました(朝倉ノニーの<歌物語> | 僕の手Mes mains)。歌詞だけだと、別れた(出て行った)女を想う男の、ロマンティックというよりはもっと切実な内面をそのまま吐露したようなリアリティを持っていると感じます。でもこのデュエットダンスでは、愛する女を喪った男が彼女の幻影を追いかけている、という風に見えていました。

いずれにしても『メ・マン』が選ばれた限り、その歌詞内容の世界では「男の元に女はいない」ので、二人の間に距離のある振付になることは必然かと思います。

そしてなぜ『メ・マン』がデュエットダンスに選ばれたのかというと、二人の間に距離がある振付になる必然があったからじゃないかと思っています。

つまり、作中で無理と断じられた「”体に触れてはいけない”愛のデュエットダンス」が、宝塚でなら表現できることの証明をしてみせたのではないかな、原田先生の遊び心というか愛というか、そういうものが詰まっているんじゃないかなと考えています。

女性同士であっても、キスなんてしなくても、体に触れなくても、情熱的な愛のデュエットダンスは”出来る”。今、目の前で見ているものがそれ。

説明しようとするとこの記事みたいに冗長になってしまうのだけど、見ればわかる、ということを信じてこの美しいデュエットダンスを出して来たところが、やっぱり、この場所を作るクリエイティブスタッフと観客との双方への信頼を感じちゃうな~と思います。

なお、正確には2回ほど、珠城さんがさくらちゃんの腰を支える振りがあります。1回目のときにさくらちゃんが背を反らす振りなんですが、好奇心から途中で一時停止して見たところ、さくらちゃんの頭頂部が珠城さんの膝くらいの位置で床に垂直の状態でした(!)。こんなことをプロの演者に言うのはかえって失礼かもしれませんが、身を委ねる信頼とそれに応える信頼というものがこんなに如実に見えるものかと思いました。

この記事を読んでもう一度デュエットダンスを見ていただけたら嬉しいです!

男が常に切羽詰まったような苦し気な表情で、女は常に優し気な微笑みを湛えているのがね……いいんですよ。男の想いだけがそこにいる女を見せているんだけど、決して想いは届かないので……。ハードな男役群舞からのデュエットダンスで、物理的に珠城さんの”男”が息が上がって汗をかいているのもエロティックだなぁと思っていて、原田先生を拝んでしまう……!

 

では、そろそろ記事を閉じて、デュエットダンスをご覧ください。

 

追記

 

 

 

*1:この場面、ムラ序盤ではリフトは何とか出来てクルッと回れはするけどそれでバランスを崩して…という感じで実は結構"出来てた"(笑)のですが、回を重ねるごとにどんどん下手になっていって最終的にはガブリエルの身体がまずほとんど浮かないというところまで出来なさが進化したのも面白かったです。(そういえば、ボリスの踊りの素人感を出すために、風間柚乃さんは初心者の「踊ってみた」動画などを参考にされたそうです。)